東京高等裁判所 昭和31年(ラ)934号 決定 1958年5月15日
抗告人(昭三一(ラ)九三五号相手方) 谷本富子(仮名) 外一名
相手方 (昭三一(ラ)九三五号抗告人) 田村敏男(仮名)
主文
原審判を取り消す。
本件を宇都宮家庭裁判所に差し戻す。
昭和三十一年(ラ)第九三五号事件抗告人の抗告はこれを棄却する。
昭和三十一年(ラ)第九三五号事件の抗告費用は同事件抗告人田村敏男の負担とする。
理由
昭和三十一年(ラ)第九三四号事件(以下甲事件という)抗告人らは、「原審判を取り消す。相手方田村敏男は抗告人谷本富子に対して昭和三十一年一月五日から同人が満十八才に達するまで扶養料として一ヶ月金五千円を支払え。もし一括して支払うときは金五十万円を支払え。相手方田村敏男は抗告人谷本文子に対して財産分与として金六十万円を支払え。」との趣旨の裁判を求め、昭和三十一年(ラ)第九三五号事件(以下乙事件という)抗告人は「原審判中谷本文子の申立却下並びに調停審判費用の負担の部分を除いてこれを取り消す。抗告人田村敏男において相手方谷本富子を引き取り、これが義務教育をすること。」との趣旨の裁判を求めた。
甲事件抗告人谷本富子、同文子はその理由として別紙抗告理由書(一)記載のとおり主張し、乙事件抗告人田村敏男はその理由として別紙抗告理由書(二)記載のとおり主張した。
甲事件抗告人谷本富子(以下単に富子という)の抗告理由について。
(一) 甲事件相手方田村敏男(以下単に敏男という)が富子に対する扶養義務のあることは、本件記録編綴の戸籍謄本二通(第四丁、第五丁)、谷本文子(以下単に文子という)に対する審問調書(第一〇丁)、及び敏男に対する審問調書(第二一丁)によつてこれを認めることができる。即ち右資料に徴すれば次の事実を認めることができる。
即ち、敏男は昭和二十八年五月頃より文子と事実上の婚姻関係に入り、翌二十九年八月○○日、その間に富子を出生し、両名は昭和三十年六月○○日婚姻の手続を経て、富子を両名の長女として届出をなした。ところが右両名は昭和三十一年一月○日協議離婚をして、その際富子の親権者を文子と定め、爾後文子においてこれを引き取り養育しているが、文子は昭和三十年九月頃罹患した気管支炎の予後が不良で、自分の生活は勿論、富子の養育に困難を極めており、富子は親族の扶養を要する状態にある。
(二) そこで敏男の扶養義務の限度について考えてみると、原審裁判所は同人の経済能力について、「現在月収一万円位で不動産はなく、若干の動産があるのみだが兄のところで働いている関係上なお多少金銭的融通がつく」ものと認めている。しかしその提示する資料を精査すると、その認定に沿う資料としては敏男に対する審問調書及び家庭裁判所調査官補高橋昭作成の調査報告書(第四一丁)のみであつて、しかも右の報告書は、申告による市民税の所得割が零であることを前提とした○○市○○支所長渡部重夫の意見と、不動産公簿を除けば、敏男の供述のみを基礎としているものであることが認められる。しかも右審問調書における供述によつても敏男は昭和三十年二月単独で○○の親許に帰り、同年四月○○日改めて文子との結婚の式を挙げ、その際山林一町六反余(その所有者は右資料では不明である。)を売却して得た三十万円の一部をもつて挙式費用に充当し、他は文子の荷物の費用に充てて全部使つたため、商売の材木商を始めるについて、兄より金二十万円の借財をした上、更に銀行取引によつて金四十万円の借入金をしていることが認められ、又昭和三十年八月頃文子と別居していた際は文子に対する費用のみで毎月一万円以上の費用をかけていたものであることが認められ、更に前示報告書の記載と相俟てば敏男は現在兄の許において、その所有名義の登録を有するオートバイ一台をもつてその家業を手伝い、その報酬についての取極はしないが、将来独立するに際して、兄より相当の援助を期待し得る状況にある点が認められる。以上を綜合すれば、少くとも敏男は○○への引揚げ後、相当期間は独立して営業をなしていた事実、及び現在の報酬が現実に兄より支給される小遣程度のものでないことを推認できないではない。ことに敏男の右認定のような経済状態からすれば、その経済的能力、殊に将来のことを考慮すれば、原審の判断しているよりも大きいと認めるを相当とするから、結局この点についての原審の審理は尽くされていないものといわなければならない。
甲事件抗告人谷本文子の抗告理由について。
(一) 離婚に際する財産分与については、当事者双方がその協力によつて得た財産の額、その他一切の事情を考慮すべきである。原審は当事者の離婚原因について、文子が昭和三十年九月頃より気管支炎を患つたことをその一因として認めつつ、文子がその同棲並びに婚姻中における金銭の濫費がその原因であると認め、敏男はその間資産約百万円を失い、その上二十万円乃至四十万円の借財を負い、現在身廻り品等若干を有する外は、殆ど財産は皆無とみられるに反し、文子はその間六、七十万円の衣類調度品を買い与えられているものとして抗告人文子の請求を却下している。
(二) ところで、原審認定の文子の金銭の濫費及び贈与された衣類、敏男の無資産については前掲各資料中敏男自身の供述以外に右の事実に沿うべき資料はない。しかも敏男は右の供述中親達がこの婚姻について「この儘ではこの先どうなるか解らない」と申し述べている旨、及び、尚この話(離婚の点をも含むものと解される)について文子と話合いの希望がある旨申述しており、更に、離婚の協議に際して、一旦は金五十万円の贈与を約した点を勘案すれば、夫が必ずしも婚姻(同棲)中の損失についても、文子の行動を、その原因とは考えていないことも窺い得るに困難ではないところである。他方本件記録を詳しく調べてみても、敏男の供述中文子について、同人の金銭濫費、同人の得た財産等不利益な点について、文子についてはもちろん文子側のものについて調査した点はなにも認めることはできない。文子に対し利益な判断をなす場合であればかくべつ、原審のように文子に対してその請求を全く排斥するという不利益な判断をなすについて、文子側のものについてその弁解の機会を与えないばかりではなく、なんの調査をもなさないというのは、どう考えても審理を尽していないと認めざるを得ない。
そうすれば抗告人谷本富子の抗告理由の判断における説示と相俟つて本件は更に、金銭濫費、抗告人谷本文子の財産取得、相手方田村敏男の財産(支払能力)について審理を加えることが相当である。
乙事件抗告人田村敏男の抗告理由について。
抗告人田村敏男の経済能力については、上来説示のとおり毎月一万円以上の収入の存在を認めるべきであるから、月収一万円に満たないことを前提とする抗告人の本件抗告は理由がない。
しかしながら、敏男が富子を引取り義務教育をするとの裁判を求める点は、本件事案においては富子を文子が引続き教育するのと、敏男において引取つて教育するのと、いずれが適当であるかは必ずしも明ではないが、敏男が原審において右のような審判を求めていないのであるから、原審に改めてその点についての審判を求めるのならばかくべつ、当審において右のような審判を求めるのは許されないと解する。よつて、甲事件抗告について原審判はこれを取り消し、本件は更に原審において審理を尽すことが相当であるから家事審判規則第十九条第一項に則りこれを原裁判所に差戻し、乙事件抗告は理由がないからこれを棄却し、乙事件抗告費用の負担については、民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 村松俊夫 裁判官 伊藤顕信 裁判官 小河八十次)
別紙 抗告理由書(一)
子供養育費は、小学校、新制中学終る迄、とすると学校入学迄は、三千円で養育出来ても学校に入学する時からは、月三千円では困ります困るよりも学校入学さす事は出来ません。満十八才に成る迄の平均の月三千円は、不足です。と言うのも私は、今持つて、病気は全快せず床に着いたきりです。母親として残念ですが働く事は出来なければ育てると言つても物品や金に附いて困ります。一日も早く良くなりたいと今は病院に通つて居ります。其が○○○の村に居てはだめと思い今は大阪の姉の所へ来てお世話に成つて居ります。今日迄親子生きる為に十万以上の借金を致しながら、唯裁判の終るのを待つばかりです。
此の間の裁判所の書面を読みますと、相手方田村敏男は、私に百万近い金をつかつた物品を買つてやつたと申して居りますが私には身におぼえはありません。生活致し居る間に一、二枚の服は買つてもらいましたが一万もつかつて居りません。○○へ来る時に木材業をすると言つて三十万の金は持参致し居りましたが田村の父親から、今日は五万送れ今日も五万送れと言つて手紙が来て、私自身で○○局に行き送金しましたから、三十万の金は、木材業は出来なくなり田村の村に帰りましたそれは親の申すのには、金を取り返してしまえば商買は出来ないから帰つてくると考え親のワナに掛つた訳です。其の金を親は全部取り込んでおいて、私の物品に金を無くしたと言われても私には身におぼえはありません。それから物品引渡しで荷物を送つて来ましたがフトン其の他、中の道具等を引抜いて今だ送つて来ません。金にして十万程の品物は田村宅に残つているはずです。私の体を夜も昼と言わずに牛か馬の様につかい病気になつて先生に見てもらつたら、体をつかいこぼしてしまつたから其れが素で病気を起したと言われました。其の為に実に子供を附れて帰され其の果は、リエンジヨウ迄送つて来て其れも田村にないしよで父親は、書いて送つて来ました。あまり人間としてひどいしうちだと私は思います。人間の出来る事でしようか。牛や馬の様に私の体を此の様な身にしたソンガイバイシヨウとして田村敏男本人から谷本文子谷本明男両人に書き送つた文面どおり其の五十万を体を病院でもとの体になおす迄の費用として又、イシヤ料として支払つて頂きます。子供養育費満十八才に成る迄、月々成れば五千円毎月初回同時に一括払いなれば月三千円として五十万円ただし其れは戸籍上、別れた三十一年一月五日の日からです。
谷本文子、病気を治す入院費ソンガイバイシヨ、イシヤ料、等で五十万円支払つてもらいます。物品の残り引渡しとして物品で返へすか金なれば十万円合計六十万円也
現在、商売をしているのは兄様の手伝にて月給月に一万円程と言つて居りますがそれは真赤なウソであります。兄弟田村良一田村敏男で三百万づつ出し合つて共同の商売で利益も皆半分づつわけて居ります。先日○○の私の村の大川様宅へ六千万石の山を買つたから五十人程人足をお世話してもらいたいと葉書が来て居りました。私に大川様は見せてくれました。其れを読んだ時に私は弱い者いじめで悪い事をしても運はむくと商売も良く進んで居ると思いました。
其の様子を見ても兄弟は合同で木材業をして居る事はわかります。田村敏男は、田村家の後継者に成つて居ります。現金で少なくとも五百万円は持つて居ります。他に山林は五百万田畑で百万それ程の資産は有ります。
右の通り昭和三十一年(家)第五一六号審判に対し異議申立ます故よろしく御願い申上ます。
別紙 抗告理由書(二)
一、抗告人は現在実兄田村良一のもとに於て月収金壱万円位の収入あると審判にはあるが抗告人は現在手伝程度にして月給としては貰つて居らず只煙草銭程度の小遣銭を貰つて居り到底谷本富子の義務教育費として毎月金参千円也の送金することは出来ざることは明なり。
二、且つ抗告人家に於ては母ウメ父耕三が農家にして食費に心配なく被抗告人谷本富子の生活費は何とかなることと思はるものなり。
三、従つて谷本富子を引取ることが妥当と信ずるを以て茲に申立て及びたる次第。